ゼミ紹介

ゼミ紹介

浅野 ひとみ ゼミ

豊かな暮らしはローマ人に学べ!

「すべての道はローマに通じる」。
これは、一義的には、街道を全欧にはりめぐらせ、里程標を置いたローマ人の秀でた建築技術を表している。

しかし、それ以上に、ヨーロッパにおいて、眼前に現れる現象のルーツがすべてローマ時代に発しているという文化の根幹を指し示す言葉なのである。「魚食」一つとってみても、タコやウツボ、ヤツメウナギなど、後にユダヤ教徒の禁忌にのっとってヨーロッパの大半で食べられなくなった魚もローマ時代は食魚であった。プリニウスは、ウナギなどがなかなか死なないとこから精がつく魚と述べており、ローマ人はそれらを池で養殖していた。

また、秋田のショッツルに似た魚醤(ぎょしょう)は、独特の風味と塩気でローマ時代の料理の名脇役であった。
文化の源流当てクイズは、とりあえず、ローマと言っておけば当たらずとも遠からじ、というところだ。ただ、ヨーロッパのおもしろいところは、ローマという共通基盤に2000年の時を刻んでいながら、文化的には中世と近世以降で大きな断裂があることだ。キリスト教徒にとっての理想はパクス・ロマーナであったから、ローマの息吹は中世を通じて通奏低音のごとく時代をいろどっていた。しかし、私たちが、現在、ヨーロッパの文物を目にして、そこに中世の名残を見出すことは非常に難しい。中世世界は、古代とルネッサンス以降の時代と基本的には同一母胎から発したが、方向性の異なる文化創成(=神)を目指したために、後代と分断されたと言えるだろう。それにしてもこれだけ異質な文化を包摂し続けるローマという時代の懐の深さに一抹の感動を覚える。

結論:ローマ時代に生まれたかったなぁ。

ゼミ生の主な卒論
  • 伊藤若沖≪動植綵絵≫研究
  • 勾玉論
  • アッシジのサン=フランチェスコ聖堂上堂壁画研究
  • 今村天主堂装飾論
  • 江戸時代の雛祭り
  • 醍醐の花見研究
  • 黒田清輝≪昔語り≫論
  • 月岡芳年≪月百姿≫研究
  • 天寿国繍帳研究
  • 古伊万里の鳳凰文研究
  • ≪富獄三六景≫の造形的特質
  • 四国遍路の諸相
  • ボッテイチェリの≪春≫

石井 望 ゼミ

漢文でたのしむ 尖閣前史の物語

東洋の共通文としての漢文。丁度ヨーロッパのラテン語、インド圏の梵語と同じく、文明語の一つとして、唐や日本などで使用されてきました。明(室町〜江戸初期)・清(江戸時代)の人々が尖闇列島について書きのこした漢文が、今まさに世間の話題です。しかし話題になったわけは、海外の人々がこれを政治的に曲解・利用したためです。私は曲解と政治利用でなく、歴史と文化の中の尖閣諸島史をここ三年ほど研究中です。

尖閣をめぐる漢文には、琉球人が主役となって福建人を招いて海を渡った物語が色々と書かれ、遭難の危機あり、琉球の祭祀文化あり、清によるタイワン島侵攻の歴史あり、もののあはれを誘ひます。

江戸時代初期、長崎から福建に派遣された明石道友なる使者に、明の役人が「尖閣は明の領土外だから日本人も外人も自由に航行する海域だ」と告げた公式記録も有ります。明石道友がなぜ派遣されるに至ったか、なぜ明の勢力は尖闇の西側にすら到達できなかったのか、その前後にひろがる物語。

また、江戸時代中期になると、福建人に針路の案内役を任せたところ、誤ってタイワン島の南部に近づきます。丁度その時は清の軍隊がタイワン島を侵攻するいくさの最中でとても危なかったのです。ぎりぎりのところで慌てて琉球人の針路にもどり、どうにか危機を脱出して尖閣に向かってゆく。そんな物語もあります。そして最後には近代日本の領土となってゆく自然な歴史。海外勢力による曲解と政治利用は、とてもゆるされるものではありません。

尖閣以外にも、ひろく色々な漢文を、分かり易く授業で取り上げます。少林寺拳法あり、楊貴妃物語あり、江戸城無血開城あり、陰陽師安倍晴明あり。私と一緒にたのしんでみませんか。

ゼミ生の主な卒論
  • 「六物新志から見るミイラ考」
  • 「古書からみる象の生態」

小林 勝 ゼミ

インドにて、象たちのいる風景から

インドの人たちが大概そうであるように、私も象が好きです。ケーララ地方でヒンドゥー寺院の社会組織や祭礼の調査を始めてからすぐに20年近くになりますから、これまでに多くの象たちに出会ってきました。一度でも餌をもらった人の臭いを象は死ぬまで忘れないそうです。本当なら、何頭かの象はまだ私のことを覚えてくれているはずです。本当に頭のいい動物です。でも、もっと感心するのは、彼らの忍耐強さです。もちろん普段から重い材木を黙々と運んだりもしているのですが、なによりも凄いなと思うのは、お祭りの時の彼らの落ち着いた態度です。ヒンドゥー教のお祭りには象が欠かせません。神様たちの乗り物だからです。

またその寺院や祭礼の格を決めるのはそこで使われる象の頭数です。写真は、寺院でバドラカーリー女神を載せた象がお付きの二頭を引き連れてこれから村中を祝福しに出かけるところです。貧しいこの村としては奮発したことが分かります。さて、その象たちは何があってもまったく動じないのです。どんな大群衆を前にしても、どんなにお囃子が騒々しくても。爆弾かと思うような強烈な爆竹の音だってへっちゃらです。象使いの男たちの指示にしたがって、必要なだけじっとしていますし、必要な速度で歩きます。背中に神様と共に人も載せてもくれます。実に我慢強いのです。

しかも、そんな風に人間の勝手な営みに付き合わされながら、象は自らの尊厳を失いません。象が一日の仕事を終えて、夕暮れにのんびりと水浴びをしてくつろいでいる姿を見るのが、私は大好きです。

ゼミ生の主な卒論
  • 「ニブフ族における犬と熊の象徴的意義」
  • 「ネパールのクマリ信仰」
  • 「バリ文化と植民地支配」
  • 「チベット問題」
  • 「ニュージーランドの移民政策」
  • 「アフリカの女子割礼」
  • 「台湾のアイデンティティと日本」
  • 「ブッシュマン研究史」
  • 「アイヌの民族意識」

椎葉 富美 ゼミ

『源氏物語』との出会い

小学6年生の時、東京から遊びに来た叔父が、私へのお土産として、与謝野晶子訳『源氏物語』を持ってきてくれました。小学生へのお土産としては何とも不似合いですが、きらびやかな王朝絵巻の中で繰り広げられるストーリー展開のおもしろさに、まさに『更級日記』を書いた菅原孝標女の言葉どおり、「昼は日ぐらし、夜は目のさめたるかぎり」夢中になって読みふけったことを思い出します。

初めて読んだときから幾星霜、おそらくは『源氏物語』を書いた時の紫式部の年をすっかり越えてしまいました。不思議なことに何度読んでも、新しい感動・発見があります。2人の男性から愛される浮舟は女冥利に尽きるわ、と思ったのは遠い昔のこと。「身の程」を知る明石御方が、娘を紫上の養女とする悲しみを実感できたのはいつだったのか、別れの季節の美しさをしみじみと感じたのはいつだったのか、自分自身の人生が『源氏物語』とともにあったように思います。

今年、私のゼミでは『源氏物語』の桐壺巻を影印本で読みはじめました。紫式部の手による原本は残っていないのでしょうが、学生たちは少しでも、当時の人々の思いに近づけるようにと「仮名変体集」と首っ引きで頑張っています。学生が、この先『源氏物語』とどういう出会いをするのか、そして、私自身新たな出会いがあるのか、楽しみは尽きません。

島田 佳代子 ゼミ

人間として生まれる、人間に「成る」

「人間とはいかなるものか。いずこより来たりていずこへ行くか。金色の星の彼方には誰が住むのか。」これは疑問の中の疑問である。非常に浅薄な、あるいは動物的な人でないかぎり、だれでも少なくとも一生に一度は、この疑問の答えを求めようとする。」

ヒルティの『幸福論』の一節です。子供の頃、何だかよく分からないながら、文語調のこの翻訳がなぜか心に残ったことを憶えています。私たち人間とはどういうものであって、何のために生まれてきて、何を目指して生きてゆけばよいのか、そして「この私」は、どういうものに「成って」いけばよいのか。

簡単に答えの出ることではありません。一生出ないかもしれない。でも、真剣に考え「続ける」ことは、私たちを知らず知らずのうちに、善い方向へ変えていってくれます。自分が変わるだけでなく、周りにもその善さは波及していきます。

私たちが上記の問いを考える上で、「(本当の)真理・善・美」という言葉はキーワードになると思います。

私の専門のトマス・アクィナスは13世紀のイタリアの人、アリストテレスは古代ギリシャ(紀元前384〜)の人ですが、二人に共通していたのは、普遍的(すべてに当てはまる)で永遠的な価値であるこれを追求することでした。

こういうことが、人間としては生まれてきたが未熟な私たちを、「(本当の意味での)人間に成ら」せていってくれるのだと思います。そのことを一緒に考えてみましょう。

ゼミ生の主な卒論
  • 『共生について-アリストテレスの「幸福論」から考える』
  • 『他者のために祈るということ~カトリックにおける祈りの概念より』
  • 『「善」の概念-プラトン哲学における「善」、西田哲学における「善」』
  • 『「人格」について-人工妊娠中絶を倫理学的視点から考える-』

滝澤 修身 ゼミ

キリシタン研究の醍醐味

みなさん、キリシタンという言葉をご存知でしょうか?1549年、イエズス会士フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝えて以来、大勢の日本人がキリスト教信者となりました。彼らは、キリシタンと呼ばれました。その後、政府の禁教政策のもと迫害されますが、一部の信者たちは、かくれキリシタンとなり、江戸時代の終わりまで、自らの信仰を寄り続けました。実は、ポルトガル、スペイン、イタリア、フランス、イギリスなどのヨーロッパ諸国に、このキリシタンに関する膨大な史料が保存されているのです。

イエズス会の初代総長イグナシオ・デ・ロヨラは、同会の結束を固め、統一を守るため、通信制度を確立しました。こうして、世界各地にいるイエズス会士が定期的に彼らの報告書をローマに提出することになりました。日本に関する情報は、1565年以降『イエズス会日本年報』としてイエズス会総長に提出されました。また、宣教師たちは個人的日本に関する多くの書簡を送りました。これらの書物には、日本での宣教状況、日本の政治、文化、習慣、言語などに関する記録が事細かになされています。

現在のキリシタン研究は、これらのヨーロッパに残存する史料と日本側の史料を混合し行われています。こうした史料の解読を通じ、キリスト教宣教師たちがどのように日本人に対し布教を行っていたのかが分かるのです。一方、ヨーロッパの史料は、当時の日本史を知る上でも大いに役立っています。イエズス会士ジョアン・ロドリゲスの書き残した『日本語文典』は、当時の日本語を調べるために現在の言語学者たちの間でも注目を浴びています。また、ルイス・フロイスの書き残した『日本史』や『日本覚書』は、当時の日本の文化を知るうえでも貴重な文献です。

長野 秀樹 ゼミ

文字を通して、知の一端に触れる

好きな本は何ですかと聞かれて、すぐに思いつく本がありますか。今までに読んだ本の中で、一番感動した本は何ですかと聞かれて、ああ、あの本だと思い浮かびますか。

小さい時から、本を読みなさい、読書は大切ですといろんな大人に言われて大きくなってきたと思いますが、本当に読書は大切な経験でしょうか。何のためにわたしたちは読書をするのでしょうか。

おそらくそれは難しい質問なのでしょう。本など読まなくても、文字が読めなくても、立派な人生を送る人はたくさんいます。

でも、今でも学問の中心に文字言語があることは間違いありません。大学に入学するということは、文字を読む人生、読書をする人生を選択するということを意味します。学問は今でも、音声言語や映像よりも文字で書かれたものを中心に置いています。文字を書き文字を読むことは人類の知の中心にあります。文学もその伝統の中で、わたしたちの知の大事な部分をになってきました。

そうした歴史の端に参加したいという意思表明が大学に入学するということです。それは学生も教員も同じことです。文字を通じて、人類の知の一端に触れる。一緒にそういう経験を積み重ねたいと思います。

ゼミ生の主な卒論
  • 「太宰治「斜陽」研究」
  • 「椅子で平和が語れるか 松谷みよ子研究」
  • 「宮崎駿研究」
  • 「新井千裕「復活祭のためのレクイエム」研究」
  • 「「のび太の恐竜」と「のび太の恐竜2006」研究」
  • 「谷川俊太郎「朝」論」
  • 「江国香織「きらきらひかる」研究」

宮坂 正英 ゼミ

なぜシーボルトは日本へ旅立ったか

人はなぜ住む場所を変えるのでしょうか。シーボルトの研究をしていると、こんな素朴な疑問がいつも頭の片隅に残ります。自分の意思で「憧れの地」に移り住むこともあるのでしょうが、やはり社会的な環境、さらには地球規模でおこる災害なども人を動かす大きな契機になっています。

ドイツ在住のシーボルトの末裔ブランデンシュタイン家にシーボルトが家族や友人に送った大量の書簡や下書きが残されています。20年以上この手紙類を読み続けて分かってきたのは、シーボルトが自分の意思だけで日本にやってきたわけではないということです。どちらかと言えば、様々な偶然が重なり、日本という「未知の世界」に辿り着いたのです。

その最大の契機は、19世紀最大かつ最悪の疫病であるコレラの流行でした。1821年に当時オランダの植民地であった現在のインドネシアでコレラが大流行し、住民ばかりでなく多くの医師たちが命を落としました。極端な医師不足に陥った地域に医師を派遣するため、オランダ軍医総督がドイツの大学で教えていた大学教授の友人に若手医師の派遣を依頼しました。この派遣依頼に応募したひとりがシーボルトだったのです。まだ若かったシーボルトは経済的に恵まれず、老いた母親の老後を支えるためにも給与水準の高かった僻地バタヴィアでの勤務を希望したのでした。

シーボルト研究を通じて、一人の19世紀知識人の生涯を知ることができます。これを辿ることは、とりもなおさずその時代がどのようなものであったかをより具体的に知ることを意味します。

同じ道を歩もうとする皆さんにも、資料解読の大切さや醍醐味が多少なりとも分かっていただければ幸いです。

ゼミ生の主な卒論
  • 「『新選公益妙薬重宝記』からみた日本近代化以前の病とその対処方法」
  • 「江戸時代のお産について-『絵入日用女重宝記』を通して」
  • 「旅行案内書としての『東海道中膝栗毛』」
  • 「江戸のあかり-その広まりと紙」

宮﨑 賢太郎 ゼミ

「聖水」 -宗教における普遍的なシンボル

異常気象の昨今、日本の各地は水不足に悩まされ、自然のなせる業の前にはなすすべもない。古来人類が定住できた場所は、考えてみれば、ナイル川、チグリス・ユーフラテス川、黄河をはじめ、河川の流域であった。

水は人間の飲料水であるとともに農作物の収穫には不可欠である。自然によって生かされてきた人類は、水や太陽や木や土など、自然そのものの中に神性を感じてきた。そしてそれらの自然を構成する諸要素の中で、もっとも身近で、優しく人間を潤し癒してくれるのは水をおいて他にないであろう。世界の古今東西の宗教の中にあって、普遍的な宗教的シンボルの代表といえば水をおいて他にない。私が20年以上にわたって調査研究を続けている長崎県下のカクレキリシタン信仰においても、水は聖なるものとして特別な信仰の対象となっている。多数の殉教者を出した生月島のカクレキリシタンの聖地中江の島から採られた「お水」は「サンジワン様」と呼ばれ、水そのものがケガレを清める霊的力を有すると信じられている。インドネシアのバリ島の宗教はバリヒンドゥーといわれ、水と花とお香の宗教として有名である。そこでも主役は聖水であるが、日本とインドネシア両者をつなぐカギとなっている概念は「ケガレ」である。

ゼミ生の主な卒論
  • 「崇福寺の普度蘭盆勝会と長崎華僑」
  • 「生月島の死霊」
  • 「宮崎県のタノカンサァに見られる日本人の神観念」
  • 「近代日本における女性とキリスト教」
  • 「婚姻儀礼をめぐる意識の変遷」
  • 「祈りのかたち〜日本人の信仰と美意識」