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学園の歴史

長崎純心高等女学校の開設

 1934年 6月 8日大浦天主堂の「信徒発見のサンタ・マリア」の祭壇の前で教育女子修道会「長崎純心聖母会」が誕生、同年12月 8日「無原罪の聖母マリアの祝日」に「純心女学院」の認可申請を長崎県に提出、1935年 4月西中町教会の仮校舎で最初の入学式が行われました。集まった入学生は28人。貧しくすべてに不足していましたが、豊かな教育愛に燃えていました。生徒たちを大切に教育しようと決意したとシスター江角ヤスは語っています。一方、高等女学校の認可申請準備も着々と進み、家野町(現在の文教町)の校地に5棟一連の美しい白亜の校舎が完成、1936年 4月、念願の「長崎純心高等女学校」の認可が文部省から届き、純心教育は漸く制度的にも整いました。ところが創立者早坂司教は、1933年に脳溢血で倒れて以来小康を保っていた健康が快癒に至らず、任務遂行に耐え得ないと判断して長崎教区長の辞任、郷里仙台に退くことになったのです。欧米の教会にも知名度が高い国際的宗教人であった早坂司教を失うことは長崎教区にとっても、取り分け誕生したばかりの純心学園にとっては大きな痛手になりました。この時からシスター江角が純心女子学園の歴史と責任を双肩に担い続けることになりました。
長崎純心高等女学校の美しい校舎と生徒たち
長崎純心高等女学校の
美しい校舎と生徒たち
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