坂本雅彦(人文学部こども教育保育学科教授)
まずはじめに、読書の目的とは
私が学生時代(40年近く前)、研究指導を受けた恩師がよく口にしておられた言葉に、「すぐ役に立つものは、すぐ役に立たなくなる」というのがあります。「○○の最新情報がわかる!」といった売り文句を掲げている本を考えるとわかりやすいでしょう(○○のところには「長崎の美味しいお店」でも「新型iPhone」でも「大学生の就職人気企業」でも、お好きな言葉を入れてください)。とりわけ変化の著しい現代社会において、情報の賞味期限は短いものです。
人が本を読む目的には「情報や知識を得るため」と「娯楽」以外にもうひとつ、他者との内的対話を通して自らの「思考を豊かにするため」というのがあると思います。日本語で文化や教養と訳される「カルチャー」の語源が、ラテン語で「耕すこと」を意味するculturaであるのはよく知られた話ですが、思考を豊かにする読書とは「教養のため」の読書と言い換えてもよいし、「精神を耕す」ための読書とも言い換えられるでしょう。
今回の翻訳と翻訳書について
今年、やはり私が若い頃お世話になった先生(哲学博士で東北大学名誉教授の加藤守通先生)にお声をかけていただき、知泉書館から刊行中の学術叢書の一冊で『ルネサンス教育論集』という本(1400年代のイタリアで複数の著者により書かれた教育論の翻訳集。今年8月に出版されました)の共訳者の一人として加わることができました。
国も時代も、私たちが生きている時空(21世紀前半の日本)とは全く異なる状況の中から紡ぎ出された古典的著作を読むことに、いったいどんな意味があるのかと言われるかもしれません。しかしそれは、情報摂取と娯楽の目的以外の読書を知らない人が言うことでしょう。自らの思考を豊かにし、精神を耕すための読書においては、むしろ自分とは共通点の少ない、文字どおり「他者」との出会いと、これまで周囲の人たちからあまり聞いたことがなかったような、新鮮な語りに耳を傾ける経験こそが重要なのです。

私が翻訳を担当したのは、レオナルド・ブルーニ(Leonardo Bruni, 1370-1444)という人の『学問と文才について(De studiis et litteris)』と題するラテン語の論考です。真の意味での学識・教養を身につけるには、何を、どう学ぶ必要があるかを説いたものですが、「すぐ役立つもの」がほしい人にはお勧めしません(とりあえず答えらしきものだけ手に入れば十分というかたは、ChatGPTにでも訊かれるとよいでしょう)。
しかし、教養とは、教育とは何かといった問題をじっくりと自分の頭で、粘り強く考えたい人には、ぜひ、本書を手に取ってほしいものです。読みながら、著者たち―今から約600年前の、ヨーロッパの偉大な人文学者たち―と心の中で対話することから、彼らの主張に賛成するか反対するかはともかく、きっと大きな「発見」の喜びが得られることでしょう。
ただし、少々値の張る本なので、買うのが厳しければ図書館にあるのを探して読まれるとよいと思います。
*出版社(知泉書館)Webサイト内の本書紹介ページへのリンク
http://www.chisen.co.jp/book/b665774.html
(以上 坂本雅彦)







