2024.05.21言語文化情報学科

滝澤教授が『慶長遣欧使節とバチカン』について講演(2024/5/4)

言語文化情報学科の滝澤修身教授が、5月4日(土)浦上キリシタン資料館(長崎市平和町)にて『慶長使節団とバチカン』というタイトルで講演を行いました。

慶長使節団とは、仙台藩主の伊達政宗が1613年にメキシコ、スペイン、バチカンに向けて送った使節団。団長を務めたのは、支倉常長です。本使節団は、伊達政宗がスペイン領であるメキシコと直接貿易を行うために、スペイン国王フェリペ3世とローマ教皇パブロ5世に援助を求めました。

滝澤教授は、慶長使節団に関して、これまでの研究には見られなかった新説を述べました。現在までの研究では、本使節団は長崎とはまったく関係ないと考えられていましたが、滝澤教授は、「慶長使節団のメンバーが、長崎で起こった26聖人殉教事件の殉教者の遺骨をスペインのセビーリャにある修道院に運び、奉納したことを、スペイン人の研究グループと共に突き止めた。」と言及しました。

さらに、本使節団の随臣の一人の松尾大源が長崎の三ツ山に住み着き、生涯キリスト教を守り抜いたという可能性があることも指摘。滝澤教授は、千々和ミゲルの墓を発掘した考古学者大石一久氏とともに、三ツ山教会の松尾大源のものであるいう伝説のある墓の発掘調査を行う予定です。今後の研究に注目したいと思います。

 

ご興味のある方は、滝澤教授が寄稿した以下、昨年12月4日に記載された長崎新聞の記事と松尾大源の墓の画像をご覧ください。

真実性証明する古文書確認

慶長使節団が運んだとの記述

ロレト修道院に日本二十六聖人遺骨

長崎純心大教授 滝澤 修身

日本とスペインの歴史的関係を研究する慶長使節団協会の歴史家たちは、1597年に長崎の西坂で処刑された26聖人の殉教者(日本二十六聖人)のものとされる遺骨について、スペイン・セビリア地方の町エスパルティーナにあるロレト修道院を調査している。16世紀から同修道院に保管されている遺骨の真実性を証明する古文書を確認しており、現存する遺骨は本物の可能性が非常に高いと判断している。

慶長使節団(慶長遣欧使節)は江戸初期の1613年、仙台藩主伊達政宗が、日本で布教活動を行っていたスペインの托鉢修道会(無所有、清貧を旨に托鉢で生活する修道会)フランシスコ会の宣教師ルイス・ソテロを正使として、スペイン国王、ローマ教皇へ派遣した使節団である。私は同協会の一員である。

口承と一致

修道院には、日本の殉教者の遺骨が保管されているという口承が16世紀から存在した。エスパルティーナの年代記作者、修道士、住民たちがこの伝説を口伝えで伝えてきた。昨年春、同修道院に遺骨が保管されていことが現地メディアを通じ公にされ、同協会が実質的に今年から遺骨の真実性の調査を開始した。

同修道院には日本の殉教者の骨が日本から持ち込まれたとする古文書が種類所蔵されていた。その存在は以前からロレト修道院の修道士や地方史家の間では知られていたことだったが、専門家による解読は今回が初めてだった。

私が解読したところ、点目の古文書は1599年に記された証明書で、フランシスコ会士リバデネイラが同修道院に二十六聖人のうちの一人の遺骨を運び込んだことが記され、当時のイエズス会の日本司教がその真性を保証していた。日本語の抄訳は、次の通りである。

「フランシスコ会のリバデネイラは、ロレト修道会のメティーアス・デ・ビジャロン・グアルディーアンに告げる。これの遺骨は、日本の26殉教者のうちの一人のものであり、多くの26殉教者の遺骨が保管されるフィリピンから持ち込まれたものである。日本司教もこれらの遺骨が本物であることを証明する。1599年5月24日に記す」

中心的人物

2点目の古文書は、同協会のホセ・ルイス・カニョ・オルティゴッサの解読によると17世紀に書かれた証明書であり、慶長使節団をバチカンに引率したソテロ神父が、ペドロ・バウティスタ神父の遺骨をロレト修道院に持ち込んだと記されている。バウティスタ神父は二十六聖人の一人で殉教事件の中心的人物である。これらの古文書の紙、そして筆跡から、それぞれ16、17世紀のものであることは確実である。

同修道院には二十六聖人のものとされる遺骨も所蔵されている。遺骨がどのような状態で保存され、何個あるのかなどについての確認作業は現在、ロレト修道院の修道士のみが行える状況である。古文書で確認できるのは、ロレト修道院に少なくとも二十六聖人のうち2人の遺骨が保管されいるということだ。

26聖人の幾人かの遺骨が保存されているロレト修道院

ロレト修道院になぜ二十六聖人の遺骨が保管されたかについては、次のように考察する。主要な理由としては、同修道院が歴史的に重要なフランシスコ会の修道院であることだ。16、17世紀のスペインのフランシスコ会は海外布教において重要な存在であっため、当時、同修道院の存在も際立っていた。日本二十六聖人の殉教者はフランシスコ会士が多い。さらにソテロ神父の家族が、同修道院があるエスパルティーナの有力者だったことも関わりがあるだろう。

DNA調査

二十六聖人殉教事件から慶長使節団に至るまで、フランシスコ会は日本布教での活躍を夢見て活動していた。それを連続的にみることが重要である。慶長使節団は長崎とは直接関係がないと考えられていたが、二十六聖人の遺骨をスペインへ運んだとすれば、実は大きな関わりを持っていたことになる。

現在まで、長崎のキリシタン史は主にイエズス会布教を中心に捉えられてきたが、今後は、スペイン系托鉢修道会に重点を置く研究が不可欠である。将来的に、ロレト修道院に保管されている遺骨のDNA調査が必要だと考えている。

(長崎新聞 2023年12月4日の記事からの引用)

松尾大源のものと考えられる墓