企画展示 長崎開港450年展 貿易都市長崎

【展示期間】 2021年9月24日(金)~11月12日(金)


1571(元亀2)年、長崎がポルトガル貿易港として開港して今年で450年を迎えました。
これを記念して、今回の展示では、ポルトガル・オランダ・中国との貿易や、キリスト教とのかかわりといった長崎の外交の歴史を全60点の資料からご紹介いたします。

長崎と貿易の移り変わり

ポルトガル人が平戸、横瀬浦、福田、口之津…と、地域の情勢に従って貿易の拠点を移す中で、一番最後に開かれた港が長崎でした。外海から奥まった入江で、湾の中に「長い岬」のある、港に最適な地だったといいます。この岬が長崎弁で「長(なん)か岬(Nangaçaqui)」と呼ばれ「長崎」という地名の由来になったともいわれています。
やがてキリスト教やポルトガル船の入港が禁止され、日本が鎖国体制に入った後も、わが国唯一の海外貿易の窓口・長崎には、様々な人や文物が行き交い、賑わいました。

主な展示資料

  • トルッセリーニ『福者フランシスコ・ザビエル伝』(1621年刊)
  • オランダ船持渡更紗
  • 革製唐子絵入小箱(清時代)
  • 古伊万里色絵花模様沈香壷
  • 『明和6年勝山町元来宗旨改帳』

企画展示 帰天70年 永井隆の仕事

【展示期間】 2021年5月17日(月)~8月10日(火)

原子爆弾被爆後の長崎について、数多くの作品を著して世間に伝え、大きな影響を与えた永井隆博士。今なお鮮烈な印象を残す永井博士が、戦後の浦上で懸命に働き、43歳でその生涯を終えてから、今年で70年の時が経ちます。
人々のために祈りと愛を捧げた博士の功績を偲び、平和を求めた心に触れてみてください。

主な展示資料

今回の展示では、「浦上の子供12カ月」シリーズや「ロザリオ」シリーズといった永井博士自筆の水彩画や書のほか、著作や写真など全65点を展示しています。
被爆前より白血病に侵されていた永井博士。病により身体を動かすことができなくなった後は、唯一動かせる手で「書くこと」を自らの仕事と決めて、様々な作品を生み出しました。その多彩な仕事ぶりをどうぞご覧ください。

永井隆博士 略歴

1908年 島根県松江市に生まれる
1928年 長崎医科大学(現・長崎大学医学部)入学
1934年 カトリックに改宗、受洗(霊名パウロ)
下宿先の娘・森山緑と結婚(森山家は浦上キリシタンの帳方をつとめた家)
1945年 6月、白血病で余命3年の宣告
8月9日、原爆被爆 大学および三ツ山木場で救護活動
1948年 如己堂が建ち、子供たちと移り住む
1951年 5月1日、帰天

企画展示 春の訪れ 長崎の美術工芸展

【展示期間】 2021年3月3日(水)~4月16日(金)

江戸時代、唯一の海外貿易港として様々な文物を受け入れた長崎。当時から現代まで受け継がれる鼈甲細工や青貝細工、陶磁器といった美術工芸品や、長崎ゆかりの作家の作品などを展示いたします。

長崎を代表する工芸品・鼈甲細工

ウミガメの一種である玳瑁(たいまい)の甲羅を用いた鼈甲細工。江戸時代(元禄期)には長崎随一の繁華街・丸山に鼈甲店があったことが分かっています。透き通るような飴色の櫛や簪、眼鏡など、鼈甲細工はその美しさから大変な人気を博し、長崎の人々だけでなく外国から訪れた人々にも珍重されました。

長崎と純心ゆかりの作家たち

壁面には、長崎をはじめとする港町の風景をよく描いた野口彌太郎や、かつて純心で教鞭を執った金山平三、小島善太郎、山中清一郎などの油彩画を展示しています。このほか、「長崎派」と呼ばれる絵師や明治期に「グラバー図譜」の絵を描いた絵師らの作品、大河ドラマにも登場する砲術家・高島秋帆の掛軸も展示しています。